★ GRIM〜妖霊学園怪奇録〜【邪魅御前の章】 ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-1425 オファー日2007-12-13(木) 22:48
オファーPC 一乗院 柳(ccbn5305) ムービースター 男 17歳 学生
ゲストPC1 シュヴァルツ・ワールシュタット(ccmp9164) ムービースター その他 18歳 学生(もどき)
ゲストPC2 狼牙(ceth5272) ムービースター 女 5歳 学生? ペット?
<ノベル>

 1.よみ

 ははははは、あーはははははははははは。
 ヒヒ、ひゃはハ、ハハハハハハハッハハハハハハハッハハァ!
 あは、ははは、ひひひひひひひ。

 元々は小学校だったという、灰色の建物を数十メートル先に臨む場所で。
 どこかから、甲高い笑い声が聞こえて来たような気がして、そこに立った時、一乗院柳(いちじょういん・りゅう)は、自分の背筋を冷たい氷の塊が滑り落ちて行く錯覚を覚えた。
「……何だ、ここ。気持ち悪い……」
 殷々と、陰々とわだかまる、黒々と邪悪な気配。
 それが、夜の闇と雑多な木々、草に埋もれる廃校を取り囲み、包み込んでいる。あの場の何もかもが悪意を持ってこちらに牙を剥くのではないか、という錯覚も、あながち柳の被害妄想ではないかもしれない。
 担任から渡されたレポートにあったとおり、ここが単なる廃墟ではないことは明白だった。
 そう、まるで、彼岸へと踏み込もうとでもしているような、地獄、あの世、煉獄、何でもいい、そういった場所へ赴こうとでもしているような、冷ややかな恐怖を感じる。
「タチの悪いのがいそうじゃないか。まぁでも、食事としちゃ悪くない、かな」
 柳の隣で、どことなく楽しげに、廃校となった建物を見上げているのはシュヴァルツ・ワールシュタット、柳にとってはクラスメイトであり、同じ班に所属する腐れ縁的パートナーでもある人物だ。
 少年の姿をしているが、実際には、様々な異能を持った妖物である。
「なあ狼牙(ろうが)、どう思う? 何か臭うか?」
 そのシュヴァルツが声をかけたのは、彼の隣で行儀よく『お座り』のポーズを取りながら、じっと廃校を見つめているシベリアン・ハスキーだった。毛並みのいい、愛嬌のある顔立ちの、まだ若い雌だ。
 しかし狼牙は、妖霊学園の授業の一環としてここを訪れている柳やシュヴァルツのペットというわけではない。
「オウッ、よくねぇにおいだ! よくねぇやつがいる!」
 シュヴァルツに問われ、耳と尻尾をピンと立てた狼牙が人間の言葉で答える。
 ――そう、狼牙と呼ばれたこのハスキー犬もまた、柳やシュヴァルツと同じく、立派な妖霊学園の生徒なのである。
「しかし……一体何がいるんだろうな? オレ、あんまり真面目にレポート読んで来なかったんだけど……行方不明者三人、発見こそされたものの精神障害を起こして入院中が五人、だったっけ? そんなに対した被害でもなくないか、それって」
「あのな……読んでおけよちゃんと。入院中の五人の思考を『読んだ』先生の注意書きがあっただろ? 届出こそないものの、内部に残された血痕や遺留品から、少なくとも二十人以上の人間がそこで命を落としてる、って」
「ああ、そうだったっけ」
 あっけらかんとして悪びれないシュヴァルツの言葉に柳は深々と溜め息をつき、もう一度夜の中に沈み行かんとする薄汚れた廃校を見遣った。
 見れば見るほど危機感が募るのは何故だろうか。
 そこに潜む何かの存在を感じ取り、本能が行くなと叫んでいるかのようだ。
「……近付かないのが賢明だとは思うけど」
 妖物、人外ぞろいの妖霊学園において唯一の人間である柳の常識から言えばそれは当然のことだったが、
「ま、それが不可能ってことはヤナギも判ってるだろ」
 彼らは今、妖霊学園の授業の一環としてここにいるのだ。
 成果を収めずに帰ることは出来ず、
「……判ってるよ」
 深々と溜め息をつき、柳は力なく返すしかない。
「まあまあ、そう気を落とすなって」
 やわらかい肉球でぽすぽすと柳の肩を叩き――本犬的にはそのつもりだったようだが、実際には身長が足りておらず、柳の腰の辺りを叩くに留まっている――、
「それに、『死地に臨んで敵に背を向けることは恥ずべき行為だ』ってばっちゃんが言ってた。おれ、よくわかんねぇけど、それって『がんばれ』ってことだよな?」
 非常に物騒で不吉な励まし方をする。
「……いつもいつも、話を聞くたびに思うんだけど、狼牙のおばあさんって、本当にどういう人なのか判らないよね。その言葉だけ聞いたら、どこのサムライだって思っちゃうし」
「ン? ばっちゃんか? ばっちゃんはすげぇぞ、おれ、大きくなったらばっちゃんみたいになるんだ」
「あー、うん、頑張れ……?」
 純粋に飼い主一家の祖母に心酔しているらしい狼牙の、きらきらした憧れの眼差しにツッコミの余地を見出せず、柳が脱力とともにそう返した、そのときだった。
「あれっ、先客がいるー」
「あ、本当だ。へえ、ここがそうなんだ……確かにすっげぇおどろおどろしいな、雰囲気抜群だ」
「うん、怖そー! ねえねえ、早く入ってみようよ!」
「行方不明者がいっぱい出てるらしいぜ。死体とかあったらどうする?」
「え、あたし気絶するかもー!」
「ねえミヤちゃん、あたしやっぱり……」
「何言ってんのカナ、今更びびっちゃったなんて言わないでしょうね?」
 背後から場違いなほどに明るい声が幾つも響き、十代半ばから後半と思しき少年少女が、その年頃特有の、周囲に一切気を遣わない騒々しさで持って、こちらへと近付いてきた。
 少年が七人、少女が五人という結構な人数だが、中には明らかに腰の引けている者もいる。
「あんたらも肝試し?」
 手に懐中電灯を持った、血気盛んな、という修飾語がしっくり来そうな顔立ちをした少年が柳に問う。
「え、いや、僕たちは……」
 困惑する柳の様子を、廃校へ入るのを怖がっていると――いや、怖がっていないわけでは決してないのだが――受け取ったらしい少年が、にやり、と人の悪い笑みを浮かべてみせた。
「ここはヤバイって噂だぜ。肝試しのスポットとしちゃ最高だって色んな奴らが入ったらしいんだけど、もう何人も行方不明者が出てて、運よく帰って来られた奴らもおかしくなっちまってるらしい」
 楽しげに、しかし噂を心底信じてはいない様子で、もしくは自分だけは大丈夫だとでも言うように少年が言い、仲間たちを促す。
「よし、じゃあ行こうぜ。何がいるのか、俺たちで確かめてやろう」
「ちょっ……待……」
 柳が、ここは本当に危ないからやめた方がいい、と言うよりも早く、少年少女は移動を開始していた。
 ――廃校までの距離は、わずかに数十メートル。
「ど、どうしよう……」
 あそこは危険だ。
 多少一般からは逸脱しているが、ただの人間でしかない柳にもそれは判る。
 だが、恐らく、柳の忠告など、彼らは聞きもしないだろう。
 若さという力の含む頑迷さを、柳は心底理解しているわけではなかったが、自分と同じ年代の少年少女が、伸び行く自分の力を過信してしまいがちなことは知っている。
「どうしようもこうしようも」
 困惑し焦る柳に対して、淡々と、どこか楽しげに言うのはシュヴァルツだ。
「あいつらが自分たちの意志でそうしたいっていうんなら、オレたちに止める義理も資格もないだろ」
「で、でも」
「どっちにしたってオレたちも行かなきゃいけないんだ、旅は道連れってヤツだよ。なあ、狼牙?」
「オウッ。『地獄への道行きなら、連れは大いに越したことはない』ってばっちゃんも言ってた!」
「ちょっと不吉すぎるんですけどその『今日の格言(ばっちゃん編)』!?」
 思わず突っ込みつつも、柳は、仕方がない、と覚悟を決める。
 いや、出来れば覚悟など決めたくはないのだが、それが例え若さゆえの過ちなのだとして、愚ではあっても決して罪ではない彼らを放ってはおけない。
 あの空間にわだかまる何かは、今、間違いなく新たな犠牲を欲しているのだ、このまま見過ごせばまた大きな被害が出る。
「とりあえず、行くか。ヤナギ、戦闘能力なんか期待してないけど、足手まといにはなるなよ」
「……判ってるよ」
「心配すんな、ヤナギ! いざってときは、おれが守ってやる!」
「あー、ありがとう狼牙。頼りにしてるよ……」
 苦笑し、頷いて、柳は、さっさと歩き出したシュヴァルツのあとを追った。

 ヒィ――――イィア――――ァハハハハハハハ――――ァア。

 夜風に乗って届いたそれは、哄笑などではなく、ただ、建物や森の立てる音だと自分に言い聞かせて。



 2.きみ

 建てつけの悪い、半壊した昇降口のドアを半ば押し退けるようにして内部へ踏み込んだ瞬間、柳の危機感は更に大きくなった。
 ――ここは、危険だ。
 何かがいる。
 しかも、強大な力を持った、悪意ある何かが。
「うっわー、雰囲気たっぷり。スリルありそう……」
「でも……あんまり埃っぽくないんだな。廃校になって二十年くらい経つんじゃなかったっけ、ここって。誰か、掃除でもしに来てるのかな?」
「そんな話は聞かないけど……でも、確かに、そんなに汚くもないわよね。変なの」
 しかし、それは、少年少女には感じ取れなかったらしく、総勢十二人の彼らは、めいめいに、楽しげな――物珍しげな様子であちこちを懐中電灯で照らし出し、周囲には一切気を使わずに騒いでいる。
 ざわざわ、ぞわぞわと、周囲の闇が蠢いたような気がして、心臓を握りつぶされるような圧迫感を覚え、柳が、何でもいいから早く逃げろと、小心な自分を忘れて叫ぶよりも早く、彼の肩をシュヴァルツが掴んだ。
「――どっちにしても、手遅れだ」
 シュヴァルツがそう言ったとき、

 ガターン!

 大きな音を立てて、彼らが今しがた入ってきた昇降口のドアが、不自然なほどぴったりと、しっかりと閉まった。
「な、なんだ!?」
 思わず飛び上がった少年のひとりが確認に行き、そこが何をしても開かないことを確かめて、顔をしかめてドアを蹴りつける。金属製の扉は、少年の爪先を喰らい、ガツンという耳障りな音を立てて軋んだが、そこから再度動くことはなかった。
「まぁ、壊れかけてたからな……仕方ない、帰りは別のところから出よう」
 怪異なる力が働いたとは思っていないのだろう、少年は舌打ちをし、仲間たちを促した。
「さ、行こうぜ。二階とか三階には上がれるかな?」
 再びわいわいと騒ぎながら、少年少女が移動を始める。
 その背をなすすべもなく見送りながら柳は呟いた。
 背筋を冷たい汗が滑り落ちて行くのが判る。
「……何か、近付いて来てる」
「ああ」
「見つかった、ってことかな」
「いや……最初から、見張られてた、が正しいんじゃないか。ここは、ここにいる奴らの『巣』なんだ、多分」
「……うん」
 狼牙が鼻をひくひくと蠢かせ、少年少女が進んで行く廊下の先を見据えて低い唸り声を上げた。
 シュヴァルツが銀の双眸を細め、足早に歩き出す。
 その手元で、窓から差し込む月光を受けて、糸のようなものが銀色に輝く。
 狼牙がシュヴァルツのあとを追った。
 ――少年少女は、学校での出来事、むかつく誰それの話や、教師の愚かさ、学校のつまらなさ、家での腹が立った話など、自分本位の、身勝手で視野の狭い会話に花を咲かせながら、真っ直ぐに廊下を進んで行く。

『も゛ろも゛ろも゛ろも゛ろっ』

 どう、とも表現し難いそれは、廊下の向こう側から唐突に響いた。
「……!?」
 あまりにも奇怪な音に、少年少女が思わず息を飲み、立ち止まった、その先から。

『も゛ろも゛ろも゛ろも゛ろっ』

 またあの音が響くと同時に転がってきたのは、胸が悪くなるような腐肉色をした、巨大な生首だった。
 直径は、およそ、2mはあるだろう。
 どろりと表皮が腐り崩れ、あちこちから骨がのぞき、虚ろな眼窩からは蛆や蜈蚣がちらちらと顔をのぞかせ蠢いている、そんなおぞましい姿をした化け物は、少年少女の前方わずか数メートルのところで器用に停止し、正面から彼らを見つめた。
 大きな舌が、皮がめくれ、あちこちに腐った肉の見える唇を、そこだけは奇妙なほど人間臭い仕草でぺろり、と舐める。
 美味そうだ。
 それが、そう思ったかどうかは、判らないが。
「き、」
 誰もがそれを目にし、誰もが硬直し、そして、
「きゃああああああ――――ッ!?」
 少女のひとりが絶叫を上げた。
 後方に位置していた何人かは、そのまま身を翻し、必死の形相で昇降口の方へ駆け戻ってくる。
 しかし、前方、最前列にいた少年のひとりが、
「う、うわ、」
 悲鳴を上げ、身を翻し、その怪異から逃れようとするよりも早く、

『も゛ろ、も゛、も゛ろも゛ろっ』

 嘲るような調子で何か音を立てた『首』は、その巨体に似合わぬ速さでもって、少年の脇腹辺りに食いつき、
「ぎっ、」
 少年が恐怖と痛みと絶望の悲鳴を上げる暇も与えず、彼を丸呑みにしてしまった。
 わずかに瞬きする間のことだった。
 初めの一瞬、少年の絶叫と泣き声とが聞こえたような気がしたが、それもすぐに消え、『首』が『食物』を咀嚼する音と、生々しい、肉や骨の砕ける音が、静まり返った廃校に響き渡る。
 『首』は、まるで人間たちが、新鮮でやわらかな、高級で高価な肉を味わうように、楽しむように、ずいぶん長いこと口を動かしていたが、ややあってぷっと何かを吐き出した。
 カランと音を立てて廊下を転がったのは、少年が手にしていた懐中電灯だった。

「――……っっ!!」

 それを目の当たりにしてしまった少年少女の顔に、ショック死しそうな恐怖が浮かんだのは当然のことだっただろう。
 彼らは口々に何かを喚きながら昇降口へ殺到し、必死で扉を開けようとしたが、何の変哲もない金属のドアは、まるで最初からそこは出入り口などではなかったとでも言うように、びくともしなくなっていた。
「な、何で開かな……」
 それどころか、もともとは下駄箱であったと思しき虚ろな四角の穴から、ぎしぎし、ぎしぎし、ぎしぎし、という鳴き声とともに、成人男性の腕一本分はあろうかというサイズの、全身に棘を持った人面の芋虫が無数に這い出して来たのを目にして蒼白になる。
 誰かがまた悲鳴を上げた。
 ――背後からは、『首』がごろごろと転がって来ている。

「いや……いやだ、やだあああああっ!」

 少女のひとりが――ここへ来たときから、最初から腰の引けていた少女だ――、顔を覆って絶叫する。
 授業の一環だから云々の前に、怯える少女を放ってはおけなくて、柳は思わず彼女を抱き締め、
「大丈夫、大丈夫だから、落ち着いて!」
 そう、声をかけていた。
 頑是ない子どものように嫌々をする少女を守るように、彼女の肩を抱いて芋虫の群から後ずさる。
 悲痛な、発狂しそうな悲鳴は、昇降口から逃げ遅れ、芋虫にたかられて全身を齧られてゆく少年少女のものだ。芋虫の一噛み一齧りは相当な威力があるらしく、身体のあちこちに穴を空けられて、少年少女の身体から血がほとばしり、滴り落ちる。
 わずかな月光だけが光源である所為で、血液は黒い液体にしか見えず、それがかえって生々しくおぞましい。
 芋虫の群に襲われた少年少女のうち、ふたりが、首筋を噛み切られて、絶叫とともに床へ崩れ落ち、じきに動かなくなった。
 あまりにも非現実的な出来事に身動き出来ず、友人たちが齧られてゆくのを呆然と見ているしかない数名の少年少女と同じく、戦闘力という点で言えば無力以外のなにものでもない柳は、震えてしがみついてくる少女を庇って、芋虫が近付いて来ようとするのから逃げるしかなかったが、
「……まったく。好奇心猫を殺すって、こういうのを言うのかな」
 呆れたように呟くシュヴァルツと、
「困ってるヒトは助けろってばっちゃんが言ってた!」
 身を低くして今にも飛びかかろうとしている狼牙、このふたりは、別だ。
「あんまり美味しそうじゃないしなぁ」
 緊張感もなくそんな感想を漏らすシュヴァルツの両手から銀色に光る糸が無数に現れ、不気味な音を立てながらこちらへ転がって来る『首』へと、まるで生き物のように絡みつく。
「細切れになるといい」
 場違いなほど無邪気な笑みとともにシュヴァルツがさっと手を引くと、銀色の糸が『首』の全身に食い込んだ。

『も゛、も゛っ、も゛も゛っ』

 自分の身に起きた『何か』を察して狼狽しているのだろうか、それとも自分の辿るべき運命を拒否しているのだろうか、ぶるぶると全身を震わせる『首』になどお構いなしに、銀色の糸は、肉を引き裂き断ち切る生々しい音を立てて、『首』を、瞬時に1cm角以下の細切れへと切断してしまった。
 ばらばらに、ミンチ状になったそれらは、すぐにぐずぐずと溶けて、異臭とともに闇の中へ消えて行った。
 フンと鼻を鳴らすシュヴァルツ。
 狼牙も負けてはいない。
「そのヒトたちを放せっ!」
 牙を剥いてそう言うと、狼牙の体色が純白へと変化する。
 周囲を清冽な風が渦巻いた。

 おおぉ――――んんん!

 猛々しく長く尾を引く咆哮。
 それと同時に激しい風が巻き起こり、少年少女を襲う芋虫たちを巻き込んで吹き飛ばした。
 風に巻き込まれ、錐もみ状態で吹き飛ばされた芋虫は、ものすごい勢いで壁に叩きつけられ、ぐちゃ、ねちょ、という気分の悪くなるような音を立てる。壁には、何故かこの暗闇の中でもはっきりと判る、紫色のしみがついていた。
 ようやく開放されたふたりの少年とひとりの少女が、あちこちから血を流しながらも、這うようにして昇降口から逃げて来る。
 それを目にしても、逃げ場をなくした彼らは、友人たちの無事を喜ぶことも出来ず、かえって恐怖を掻き立てられでもしたかのように、
「なんで……なんで、こんなのっ」
「痛い、痛い、助けて……!」
「どうしたらいいの。どうしたら、どうしたら」
「孝ちゃん、昌子……ああ……!」
「早く、早く逃げないと!」
「ねえ、亮太は……亮太はどうなっちゃったの!?」
 右往左往し、意味もなくぐるぐると回り、友人にしがみつき、またしがみつかれて啜り泣く。
「オレは別にどうでもいいけど」
 そこへ声をかけるシュヴァルツはまったくの平静だ。
 妖物であり、妖霊学園の生徒である彼にとって、あの程度の化け物は『普通』の範囲でしかないのだろう、この明らかに異質な空間にも動じることなく、ただ周囲をじっと伺っているだけだ。
「ここでじっとしてても、事態は改善されないと思うよ?」
 そこで一息挟んだあと、
「ぐずぐずしてると、また来るぞ」
 低くそう言い切った。
 誰かがヒッと息を呑む。
「で、でも、どこへ行けば……っていうか、そもそも、あんたたちは一体、なんなんだよ……!?」
「オレたちが何かってのはあんまり気にしなくていいよ。別に、敵じゃないし。まぁ……強いて言うなら、こういうのの専門機関から派遣されて来た、ってとこかな?」
「じゃ、じゃあ」
「ああ、期待させちゃって悪いんだけど、オレたちの力にも限界ってのはあるわけで、キミたち全員をひたすら守るっていうのは無理なんだよね。だから、キミたちには、積極的に逃げて欲しいわけだ」
 言って、銀色の目で周囲を見遣る。
「ここは今、この建物に巣食う何かによって閉ざされてる。そいつをどうにかしない限りは出られないってことだ」
「ど、どうにか、って、い……言われて、も」
「ん、ああ、判ってる。キミたちにそれを望んじゃいない。それはオレたちでやるよ、そのために来たんだしね」
「うう、その中に含まれちゃってるっぽい自分が嫌だ……」
「当然だろ、ヤナギ。でなきゃ、誰が『元凶』の居場所を探し出すんだよ?」
 にべもないシュヴァルツの物言いに、出来れば積極的に逃げ回る方に入りたい柳としては、肩を落とすしかなかったが、元凶を倒さないことには自分もまたここからは出られないのだ。わずかではあれ怪異に慣れている身として、やるべきことがあるのならやるしかないだろう。
「だったら、俺たちはどうすれば……」
「まぁ、基本は、オレたちから離れないように、オレたちの戦いに巻き込まれないように、上手に逃げてもらうしかないかな」
「そ、そんな……」
 非常に難しい注文に、少年のひとりが絶句する。
 しかし、事実、そうあろうと努めはするが、シュヴァルツにせよ狼牙にせよ、一般人に過ぎない柳にせよ、決して完璧な守護者ではないのだ。彼らは、特殊ではあるが一個の学園で学ぶ生徒であって、熟練の術者でも屈強な戦士でもない。
「ち、ちくしょう」
 少年のひとりが呻き声を上げた。
 遊び半分の軽い気持ちで踏み込んだ場所が、ヒトの命を喰らう地獄の入り口で、しかも自分たちは逃げ場をなくして閉じ込められているのだ、彼の胸中は察するにあまりあるが、

『ごぉ、ごおお、ごおおぅおおおおぉおっ』

 先刻『首』が現れた辺りから、そんな、不気味な音が聞こえてくれば、
「……行こう、ここにいても、仕方がない」
 大急ぎでその場を離れるしか、ないのだ。
「オレが一番後ろを行くから、ヤナギと狼牙は先行しなよ。狼牙がいれば怖くないだろ、ヤナギ?」
 浮き足立つ少年少女の背後に回りながらシュヴァルツが言い、柳としては物申したいこともたくさんあったのだが、自分にしがみつく少女がすがるような眼差しで見つめてくれば、唇を引き結んで頷くしかなかった。

 ――イ・イィイィ――アアアァアアアァ――――ァハハハハハハハァアア――――ァ。

「……あれ、何の音かしら……」
 背後に庇った少女が、身を震わせながら呟く。
 もちろん、柳に答えるすべのあるはずもなかった。



 3.くみ

 ガタン!

 大きな音を立てて教室のドアを開け――それはぶち破り、だったかもしれない――、現れたのは、首のない武者の集団だった。
 赤く錆び付き、あちこちが欠けた日本刀が掲げられ、目もないのにどうやって彼らを認識しているのか、首なし武者たちは真っ直ぐにこちらへ向かってくる。
 少年少女の悲鳴が上がるより先に狼牙が低く唸り、全身の毛を逆立てて臨戦態勢を取る。
「やっぱり」
 それを見守りながら小さく呟き、柳は周囲をチラリと見遣った。
「ここは、閉じているんだ」
 これだけの規模で怪異が起きながら、廃校の外側からは事件や化け物が目撃されず、ただ噂となってのみ知られているという事実が、柳に、この廃校に巣食う元凶が、強大な力でもってこの周辺を包み込んでいることを知らしめる。
 もしかしたら、精神障害を起こした状態で見つかった生存者も、興味本位の愚かな人間を引き寄せるための小道具に過ぎないのかもしれない。
 全身を黄色に変化させた狼牙が咆哮し、まとった雷を首なし武者の集団に向かって撃ち放つ。
 雷は錆びてはいても金属である刀を伝い、化け物の身体を灼き焦がした。
 そこへ、雷をまとったままの狼牙が突っ込み、化け物たちを粉々に砕いてゆく。
 背後では、シュヴァルツが鋼のような糸を揮い、追いすがって来るトカゲ型の化け物を切り刻んでいた。
「ヤナギ、どうだ? 何か判ったか?」
 この廃校に閉じ込められてからどれだけの時間が経ったのだろうか。
 判らないまま、次々に現れる化け物たちに追われて逃げ惑ううち、犠牲者は増えていた。
 突然天井から現れた蝙蝠のような化け物に少年のひとりが連れ去られ――骸は目にしていないが、首筋に牙を立てられているのが見えたから、きっともう生きてはいないだろう――、教室のひとつから溢れ出した巨大なスライムのような化け物に少女のひとりが飲み込まれ、骨まで溶かされて消化されて、知らずに曲がった角の先に咲き乱れていたツタ性の食人花に少年のひとりが搦め取られて食われた。
 それを見て恐慌状態に陥った少女が、柳や友人たちの制止を振り切ってがむしゃらに走り出し、教室から飛び出してきた毛虫のような化け物、全長三メートルものサイズの、全身の棘が日本刀で出来ているという妖物に串刺しにされて事切れた。
 十二人いた少年少女は、最初の半分以下にまで数を減らしていた。
 友人たちを惨殺されたことに対して、少年少女が哀しみや憤りを感じていないはずはなかったが、次は我が身かもしれないという恐怖が、彼らから言葉を奪っていた。
「――……うん。多分、この先に、いる」
 柳は戦闘という点ではほとんど役には立てないものの、彼を苦しめる原因となった百目病は、アル程度ではあるが、柳に望むものを見せてくれる。
 だから、わざわざ痛い思いをしてまで『目』を開き、元凶の居場所や正体を探ったのに、それほど強大な力を持つということなのか、ぼんやりとしたヴィジョンがちらちらと見えるばかりで、正確な何かは捉え切れていなかった。
 しかし、恐らく、移動に移動を重ねるうちに近付いてきているのだろう、柳は、黒々とした悪意を身にまとう何かが、まっすぐに続く廊下の先で、舌なめずりをして彼らを待ち受けているのを、ぼんやりとではあるが察知していた。時折耳を掠める笑い声も、幻聴ではないと断言出来る。
「この先は……体育館、かな。どう思う、狼牙?」
「オウ、そうだな、よくねぇにおいがぷんぷんする。そうとう危険だ」
「……なるほど。質量の大きい奴でも体育館なら問題なく巣食えるしな」
「入った途端一気に襲われたりしない?」
「あり得るな。でも、広い場所なら、オレも糸を展開させやすいし、狼牙も戦いやすいだろうから、あながち不利とも言い切れない。ヤナギ、『目』をずっと開いてろよ、体育館から目を離すな」
「ずっとって結構ダメージ大きいんだけど……まぁ、仕方ないか……」
 ――正直なところ、膝に震えが来るほど怖い。
 妖霊学園の生徒として関わってきたすべての事件において、柳が恐怖しなかったことなどなかった。
 しかし、
「あの、一乗院君……」
「……うん、大丈夫。何とかなる、何とかするよ」
 柳は、不安げな少女に、無理やりではあったが微笑んでみせた。
 死にたくない、怖い、苦しい、痛いという思いを柳は理解出来る。臆病で小心な自分を一番よく理解しているのは柳自身だ。
 しかし、だからこそ、今この場で死の危機に瀕している少年少女の気持ちが判る。
「諦めないで、皆で外へ出よう」
 きっぱりと言って、廊下の向こう側、体育館へと通じる道を見据える。

 ――おうおうと、暗闇が鳴いたような気がした。



 4.はみ

 体育館は、二十年ほど前には体育館であったはずのそこは、すでに、土と草と闇に覆われた別の場所へと変わり果てていた。
 じんわりと、腐った木々の、湿った匂いが漂って来る。
「……水のにおいがする」
 つぶやいて、狼牙が鼻をヒクつかせた。
「これだけ大きな空間を造り替えながら今まで気づかれずに来たのか……」
 いっそ興味深いとすら思っている風情でシュヴァルツが周囲を見渡す。
 柳の視線は、ずっと、体育館なのか単なる森なのか判らない場所の中央に釘付けだった。当然、『目』で、その存在を探り続けていたからだ。
 柳の視線の先を追うかたちで『それ』に気づいた少女が、恐怖の表情とともにヒッと息を飲み、身体を強張らせる。

『おやおや、今宵も美味そうな人間がやって来たこと』

 体育館の中央でケタケタと笑う『それ』は、上半身だけならば、白い着物姿の美しい女のかたちをしていた。
 白い肌に艶やかな黒髪、濡れたように輝く漆黒の目、毒々しいほどに赤く麗しい唇、それらすべてが完璧な配置で収まる細面に、すらりとしていながら豊満な肉体など、男だけでなく女ですらどきりとさせる美を、『彼女』は持っていた。
 しかし、
「――……邪魅御前(やみごぜん)、か」
「知ってるのか、シュヴァルツ」
「学園のブラックリストに載ってるのを見たことがある。年経た蛇が転じた妖物だ。数百年のうちに、何百人もの人間を食って来たんじゃなかったかな」
「なんでそんなやつがここに来てるんだ? おれのばっちゃんならきっと放っておかねぇぞ」
「狼牙のばっちゃんがどうするかはさておき、巣にするにはちょうどよかったんじゃないか。長く放置された広い建物なら、陰気がこもって『場』も構成しやすい」
「じゃあ……あちこちにいた化け物は、眷属か何かってことか?」
「どっちかって言うと、この陰気に誘われて居ついた連中、って気がするけどな」
 ぼそぼそと低く言葉を交わす三人の前方にわだかまる『彼女』は、赤褐色に黒灰色の銭形斑の散る鱗で覆われた、人間など一飲みに出来そうな、巨大な蛇の頭頂から生えているのだった。
 全長で十メートル以上はあるだろうか、こちらを見据えてちろちろと舌を出す蛇の赤瞳は、ガラス玉のような無機質さでありながら、獲物を狙う毒々しい輝きを発している。
 ぐねぐねと蠢く下半身のおどろおどろしさ、禍々しさは、なまじ上半身が完璧なまでに美しいだけに、彼らがこの数時間で出会って来た化け物たちの比ではない。
 邪魅御前の眼が、ぎらりと光って柳たち三人を見る。
『――……あの女の手の者か。人と人外の共存などと……馬鹿馬鹿しい』
 彼女がそう吐き捨てると、下半身である蛇がシャアァッと音を立てた。
 空気を震わせるそれに、少年少女が身をすくませ、またその場に蹲(うずくま)る。
『わたくしを退治に来たのかえ』
「そのつもりだけど」
 返すシュヴァルツは飄々として動じた様子もない。
『見たところそなたも同類であろうが? 何故ヒトに与する?』
「別に、そんなつもりはないけど」
 シュヴァルツの周囲を、銀色の細い糸が揺らめいた。
 それを見て、狼牙が身を低くし、臨戦態勢を取る。
 この数時間、皆を守って戦い通しの彼女だが、体力の有り余った若い成犬らしく、まだまだ元気いっぱいだ。生き残った人々を助ける、という気概で、彼女の青い目は煌々と輝いている。
 邪魅御前は狼牙のそんな様子を目を細めて見遣り、
『同類のよしみだ、わたくしに仕えると申すなら、命は取らぬでおいてやるぞ』
 逆らうならば一緒に喰らうだけだというニュアンスを含めて、三人に向かい、そう言った。それから、ガタガタと震える少年少女へ視線を移し、舌なめずりをする。
『雛鳥の肉は、さぞかしやわらかく甘いことであろうな』
 邪魅御前がそう言うと、蛇の口ががばりと開き、彼女と同じように舌なめずりをした。ちろちろと吐き出される舌は、炎のように赤く、不吉だった。
 少年少女が蒼白になる。
「悪いけど」
 そもそも価値基準が普通の人間からはずれているようなので、決して彼らを守るためではないだろうが、シュヴァルツが肩をすくめ、一歩踏み出した。
「オレ、誰かに命令されるのとか、大嫌いだから」
 彼の周囲を舞い揺らぐ銀色の糸。
 それに調子を合わせるように、狼牙が高々と咆哮する。
 普段はうるさいだけのそれは、実を言うと破魔の効果もあり、忌々しげに邪魅御前が舌打ちをする。
「狼牙、蛇の性は水だよ。水に強い属性は何だったか覚えてる?」
「え、えーと……水、水……お湯?」
「あったかいだけじゃないか、それ。――土剋水。水に剋(か)つのは、土だ」
「オゥッ、それそれ!」
 尻尾を振った狼牙が、再度咆哮を上げると、彼女の体色が茶色に変化する。
 五歳の誕生日に誤って隕石を飲み込み、それによって特殊な力を得たという狼牙は、五つの属性を使った攻撃が出来る。今までもそれに助けられて来たが、今回もまたしかり、だ。
「でかい分、長引くとこっちが不利だ。狼牙、ダメージを喰らう前に一気に片をつけるぞ」
「オウッ、任せとけ!」
 言うなり、ふたりは同時に走り出した。
 シュヴァルツの肩に、蜘蛛のような蟲が陣取ったことに気づいたのは、多分柳だけだっただろうが、それに気づいたがゆえに、彼は、シュヴァルツが邪魅御前を『狩る』気になっていると察することが出来た。
『……小癪な連中だ』
 不快げに眉根を寄せ、邪魅御前が『身体』を起こす。
 蛇の下半身が立ち上がれば、その体高は五メートルにもなり、人の手を届かせることは難しくなる。
 ――人の手は。
『わたくしの腹に、仲良く収まるがいい』
 いつも通りの捕食のつもりだったのだろう、巨体からは想像もつかぬような速さで、シュヴァルツや狼牙を一飲みにするべく一直線に突っ込んで来た邪魅御前だったが、彼女の目論見は見事に外れた。
 結論から言えば、蛇の口は、虚しく空を噛んだだけだった。
 無論、シュヴァルツや狼牙が、容易く食われてやるはずがないからだ。
「的が大きくなって、やりやすくていい」
 蛇の顎(あぎと)を軽やかに避け、飄々とつぶやくシュヴァルツの全身から、銀色の波とでも称するべきだろうか、きらきらと輝く糸が無数に現れ、邪魅御前の蛇体に絡みつく。
 硬質な糸と鱗とがこすれあってか、ぎちぎちという耳障りな音が響いた。
 ――蛇の動きが鈍くなる。
「狼牙」
 淡々とした声でシュヴァルツが親友の名を呼ぶ。
「オウッ!」
 元気よく応えた狼牙が、天井を見上げて高々と遠吠えをした、その瞬間、大音声、大震動とともに大地が割れた。
 砕かれて大岩の槍となった大地が、牙か爪のごとくに、邪魅御前の蛇体を打ち据え、貫く。
『ぐ……!?』
 まさか大地の、地面の一部がそんなにも硬く鋭く自分を傷つけるとは思わなかったのか、邪魅御前の端正な顔が苦痛に歪んだ。
 そこへ、再度土の力をまとった狼牙が咆哮し、大地の欠片で出来た槍でもって邪魅御前を攻撃する。
 蛇が赤い目を苦痛に歪め、あの、空気が漏れるような音を立てた。
「ばっちゃんが『蟻であれ鼠であれ、相対しようと思うものを甘く見てはならない。慢心は死を招く』って言ってた。おれだって、やるべきときはやるんだからなっ」
「はは、それは真理だな」
 本日何度目かの格言に笑ったあと、シュヴァルツが軽やかな動きで蛇体を駆け上がり、再度銀の糸を展開する。
『ぐう、う……!』
 狼牙の攻撃で身体に穴を空けられ、それが土属性であったがゆえに傷を回復させることもできず、またそんな痛みを経験したこともなかったのだろう、呻き声を上げて苦しんでいた邪魅御前は、シュヴァルツに反応するのが一瞬遅れた。
「別に、キミがどうこうって言うんじゃないんだ。いいとか悪いとか、そういうのじゃ」
 その言葉と同時に、邪魅御前の、女の身体を、銀色の糸が雁字搦めに包み込む。
 シュヴァルツが手を引き、鋭く引き絞られて、彼女の白い肌が幾重にも切れ、血が滲み出した。
 血は、鮮やかな赤紫色をしていた。
『く、き、貴様、わたくしにこのような真似をして、赦される、と、』
 糸を引き剥がそうともがき、もがくことで刻まれながら、邪魅御前が呪いすらこもった目つきでシュヴァルツを睨む。
 だが、シュヴァルツは怯むことなく、
「赦すとか赦さないとか、そういう問題でも、ないだろうな」
『な、』
「要するに」
『ぐ、ぐぐ……』
「キミはやり方を、在り方を間違った。それだけのことだろ」
 そう、笑って、蛇体の下に、影を――彼の本体の一端を――大きく広げただけだった。
『な、あ』
 驚愕に目を見開く邪魅御前の身体がぐらり、と傾ぐ。
 蛇体ごと。
 ――そう、影が、蛇体ごと、邪魅御前を飲み込もうとしているのだ。
 否、飲み込みつつあるのだ。
『き、きさ、』
「――いただきます。ごちそうさま。人間は、そう言うんだよね、確か」
 邪気のない、悪びれもしない笑顔でシュヴァルツが言う。
 その足元で、邪魅御前の身体は影に飲まれ、食われてゆく。
 糸に絡め取られ、身動きをほとんど封じられた彼女は、足掻くことすら赦されなかった。

 蛇体が、そして邪魅御前本体が影に飲まれるまで、わずかに数分のことだった。



 5.すみ

「……まあまあ、かな」
 人間っぽい、口元を拭う仕草をしてみせながらシュヴァルツがつぶやく。
 柳は、何が、とは尋ねなかった。
 尋ねなくとも判っていたのもあるが、尋ねるよりも早く、ガラガラ、という音がして、体育館を覆い尽くしていた植物や土や石の類いが崩れ落ちて行ったからだ。
 それらは呆気なく剥がれ落ち、砕けて消え、体育館はあっという間に体育館としての姿を取り戻した。
 割れて破れた窓から、星と月が見える。
「た、たすかっ、た……?」
 生き残った少年のひとりがつぶやき、恐る恐る、元々はグラウンドに出るための出入り口だったのだろう、傾いた扉に手をかけた。
 また開かなかったらどうしよう、という不安感をありありと浮かべた彼が扉を引くと、――それは、耳障りな音を立てつつもあっさりと開き、静かに冷たい夜気を、体育館の中へと運んだ。
 開放感と安堵とが柳を包み込む。
 こっそり、痛みを我慢して『目』を開き、周囲の様子を確かめてみたが、他の化け物、怪異も、元凶が滅びたことで拠りどころを失ったのだろう、散り散りに消えて行ったようだった。
 少なくとも、今、この周囲に、彼らに危険をもたらす存在は感じられない。
「よ、よかっ……」
 すべての恐怖と、友人を喪ったという事実が一気に押し寄せたのだろう、少年少女は泣き笑いの顔で外へ飛び出し、抱き合って、そのまま地面へ座り込み、大声で泣き出した。
 喪われた友人たちの名前を呼びながら、生き残った友人たちの名前を呼び、抱き締め合いながら、泣きじゃくっている。
「……」
 それらを無言で見つめたあと、柳はひとつ息を吐いた。
「オウッ、どした、ヤナギ?」
「ん? いや、何でもない。……ややこしくなる前に、帰ろうか」
「そーだな、色々追求されても困るしなっ」
「お疲れさん、狼牙。――……シュヴァルツも」
「ああ。まぁ、オレは食事が出来たから、得したと言えば得したんだけど」
「そっか」
 かすかに笑って、柳はゆっくりと踵を返した。
 もう一度背後を確かめたのは、彼らが無事でよかったという安堵と、自分もあんな風に『普通』でありたいという一抹の寂しさと、それでも化け物扱いはされたくないという思いとがさせたことだった。
 彼は人間だが、人間ではない力を持っている。
 仕方がないと諦めてはいるものの、そのことを糾弾され、責め立てられるのは、やはり、辛い。
 三人並んで歩き出しながら、
「……帰ったらレポート、かな。出来ればその前に一眠りしたいけど」
 柳が言うと、
「おれレポート苦手だ。ヤナギ、よろしくっ」
 狼牙は前脚で彼の腰をぽんと叩いた。
 シュヴァルツがそれに呼応してうんうんと頷く。
「オレも狼牙も今回よく頑張ったんだから、一番頑張ってないヤナギがレポートは書くべきだと思う」
「僕だって色々頑張ったんですけど……」
 言われると思った、とこぼし、肩を落としつつも、柳は、ひとまずひとつの事件が終わったことに安堵する。
「次の課外授業は、もう少し穏便なものがいいな。あと、是非サクラに一緒に来てもらいたいなぁ。やっぱり、寂しいや」
「オレは、面白くて、美味いものが食べられればそれでいいんだけど」
「おれ、大事件をカレーに解決して、ばっちゃんに褒めてもらうのが夢なんだー」
「何か、狼牙のおばあさんって以下略。一度会ってみたいなぁ。ちょっと怖いけど」
 そんな他愛もない会話を交わしながら、柳は帰途を急ぐ。
 次は一体、どんな怪異が待ち受けているのか、などと思いつつ。

 ――もちろん、それもまた妖霊学園の日常ではあるのだけれど。

クリエイターコメント今晩は、プライベートノベルのお届けに上がりました。
オファー、どうもありがとうございました。
そして、お届けが大幅に遅れまして本当に申し訳ありません。己の至らなさを、伏してお詫び申し上げるのみです。

さておき、初挑戦のジャンルということで、四苦八苦しつつも楽しんで書かせていただきました。バトルやアクションを含みつつもホラーっぽく書けているかどうか微妙なところですが、楽しんでいただければとても嬉しいです。

狼牙さんの可愛さに、犬好きの私としてはときめかずにはいられませんでした。シベリアン・ハスキーって、気持ちの優しい、本当にいい子が多いですよね。

お気に召せばいいのですが。

なお、私事でお届けが遅れましたことを再度お詫びすると同時に、そのことに関してお気遣いいただいたこと、そのお気持ちに感謝する次第です。

それでは、また機会がありましたら、どうぞご用命くださいませ。
公開日時2008-02-03(日) 14:30
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